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恋はいつでも 

 (1)

 午後の販売事業部会議を終えた吉野は、ミーティング・ルームを出るとオフィスには戻らずエレベーターに乗った。目的地は一階通用口脇にある喫煙所。禁煙奨励の昨今、吉野が勤める株式会社KUSAKA――旧クサカ製薬――横浜支社が入っているテナント・ビルでも、ご多聞に漏れず全館禁煙である。愛煙家と言えるほどの喫煙本数ではない吉野だが、不景気感漂う会議の後には気分転換に一服したくなるのだった。
「陽が傾くの、早くなったなぁ」
 紫煙の流れる先に橙色一歩手前の太陽を見て、吉野は独りごちた。腕時計であらためて時間を確認すると、午後四時になったばかり。つい一ヶ月前はまだ充分に陽は高く、夏と変わらない熱さの日差しが降り注いで、秋の気配などどこにもなかったのにと、吉野は季節の律儀さに感心する。
「吉野さん、休憩っすか?」
 背後から声がかかったので振り返ると、外回りから戻って来た同じ課の若い社員・永浜裕二だった。すでに煙草を一本銜えていて、吉野の目の前に立つやいなや、手にした百円ライターで着火した。
「会議が終ったとこ。早いな?」
 ルート営業とは言え、帰社時間が五時より早くなることは珍しい。特に今年の春に中堅の薬品卸会社と合併し、人的体制はそのままに営業エリアが拡大した横浜支社では尚更だった。永浜は満面に笑みを浮かべ、「今日は何が何でも六時には上がらないと」と答えた。
「デートか、金曜日だもんな?」
「何、言ってんですか、懇親会ですよ、懇親会。あ、その調子だと忘れてますね、吉野さんも面子に入ってるってこと」
 永浜は呆れたように吉野を見る。それで今夜、総務課の女子社員達と一席持つことを思い出した。
 二十八才で独身、見た目も気性もイマドキの永浜と違って、いくら独身でも今年四十一になった吉野に、若者主体の懇親会=飲み会の誘いなど本来ならありえない。だからすっかり失念していたのだった。
「すまん、忘れてた」
「まさか残業の予定じゃないでしょうね?」
「若い女の子との懇親会なんて無縁な年頃だからな。だいたい俺なんか面子に入れてどうするんだ? 絶対浮くし、場違いだろ?」
 総務の女子はざっと見回しても平均年齢三十代半ばにかかるか、かからないか。既婚者が除外されているとして、平均年齢は更に下がるだろう。それに課長代理とは言え肩書き付きは吉野くらいで、煙たがられるに決まっていた。
「大丈夫ですよ、吉野さんは若く見えるし、違和感ないですって。それに釣り餌ですから」
「釣り餌?」
「木島さんが、吉野さんが行くなら参加するって言うもんで。だって今回の飲み会は木島さんが参加してくれなきゃ意味ないんです」
「ああ、なるほど」
 吉野は木島の顔を思い浮かべた。
 木島――木島慧(きじま・さとし)は今年の春、合併を機に横浜支社に移動してきたのだが、以来、独身既婚、新参古参問わずに女子社員の注目を一身に浴びている。
 長身で均整のとれた体躯、端整に過ぎる容貌、吊るしのスーツを着てさえも男性ファッション誌から抜け出したかのように見えるほど、とにかくモデルばりに整った容姿の持ち主だった。実際、大学時代はモデルのアルバイトをしていたそうで、パリコレやら何コレやらに出てもおかしくない逸材だったと、女子社員達が知った風に噂していた。あくまでも噂ではあるが、洗練された、それでいて嫌味のない立ち居振る舞い、三十五才と言う中年の域に入りつつありながら弛みのない体型から見て、その噂の信憑性は高い。
 積極的な女子社員は個人的に、あるいは団体で、木島を一度ならずも食事などに誘っているみたいだが、まだ誰も「OK」をもらえずにいると言う。
「で、どうしてもって頼まれちゃって」
 喫煙所で一服終えた吉野は、オフィスへ戻りがてら総務課女子との懇親会に至った経緯を永浜から聞いた。総務課には『ミス横浜支社』と男子社員が密かにあだ名している野添響子がいる。女子軍団は彼女を目玉にして、木島が参加する食事会を計画してくれないかと永浜に打診してきたのだった。
「野添さんが来るって言うなら、断れないっしょ?」
 彼女を何度も食事に誘っては撃沈している永浜は、ポイント稼ぎのために木島を口説き落としたのだが、だからと言って野添響子の中で永浜値が上がっているかどうか。木島が参加するとわかった時点で、女子達の関心はすべて彼に向けられていると言って過言でなく、そのほかの男子社員は十把一絡(じゅっぱひとからげ)にされているだろうから。
「だから吉野さんの参加は必要不可欠なんですよ」
「ふ~ん」
 吉野が生返事をしたので、永浜は慌てて、
「それに吉野さんだって密かに人気あるんですよ」
と付け加えた。上司にあたる吉野を、木島を呼ぶためだけのエサだと言ってしまったことは、さすがに不味いと思ったらしい。
 釣り餌にされたことに吉野は頓着していなかった。年齢も年齢だし、容姿も平凡、それらを補う社会的地位があればまだしも、たかが中間管理職の端っこ、女性にとって魅力的な要素には乏しいと自覚している。結婚をいまだにあきらめていないとか、機会があれば飲み会に参加したいなどの野心が相応にあれば、前述の自覚があっても釣り餌にされることに良い感情は湧かないのだろうが、吉野の恋愛に関する「野心」の対象は同性だった。だから異性と親しくなることが目的の飲み会は、面倒くさい以外のなにものでもない。今回の懇親会もすっかり吉野の意識野から閉め出されていた。
「あれ、木島さん?」
 販売事業部オフィスの入り口で、別方向から来た木島と行き会った。
「早いっすね」
 吉野から言われたセリフを、永浜が木島に投げかけた。疑問形に聞こえないのは、裏に別のニュアンスが含まれているからである。永浜は自分同様、今夜の懇親会のために木島が早く戻ったと思っているのだ。二課のエリアでは、普段この時間に見られない顔ぶれがチラホラとデスクワークしている。独身の若手ばかり、理由は言わずもがなである。
「いや、麻薬の急配要請が入って、取りに戻っただけ。出庫手続きしたら、すぐに出る」
「今から麻薬?! 今夜、大丈夫なんでしょうね?」
 永浜の声が大きくなった。急配=緊急配送とは、配送担当の通常便とは別に営業担当が直接、取引先に持って行く業務である。今から出庫を待って帰宅ラッシュ時の街中を往復するとなると、行き先によっては今夜の懇親会に間に合うか微妙だった。持って行く薬品が出庫手続きの特殊な麻薬では、大幅にずれ込む可能性がある。木島は今夜の「主役」で、永浜の反応も無理からぬことだ。
「今夜? ああ、飲み会だっけ。大丈夫、大丈夫。急配先はそんなに遠くないところだから」
 木島の言葉にあからさまにホッとする永浜を見て吉野は笑った。木島はそんな吉野の方に向き直り「吉野さんは大丈夫なんですか?」と尋ねる。
「忘れて残業する気満々だったんじゃないかと思って」
「永浜に言われて思い出したよ」
「やっぱり」
 木島が苦笑を作ったところで、彼宛に内線が入った。近くの電話で受けて話しだしたので、後の二人は二課のエリアに向った。
「あー、良かった。木島さん、イマイチ乗り気じゃないから、ドタキャンされるんじゃないかって思いましたよ」
 永浜はそう言うと、時間内にデスクワークを片付けるべく、自分の席についた。今日のようなヤル気が常日頃出れば、もう少し彼の評価も上がるだろうにと思いながら、吉野も席に着く。会議に出るために後回しにした仕事が山積していた。懇親会のことをすっかり忘れていたので、いつも通り残業してゆっくり片付ける予定が狂ってしまった。
 視界にまだ電話をしている木島の姿が入る。ただ立って受話器を持つだけの姿も絵になる男だ。容姿が良いだけではなく、仕事も出来、性格も良い。もてない要素が見当たらない彼が、いまだに独身であることを周りは不思議がった。とんでもない欠点があるのではないかとやっかみ半分で勘ぐる輩もいたが、彼の姿を見かけると女子社員はどんなことにも目を瞑れそうな勢いで色めき立つ。
 木島が独身で浮いた話がないことや、ミス横浜支社が同席する懇親会に乗り気でない理由を、吉野は知っている。
 独身なのは、たとえ結婚したいと思う相手がいたとしても、日本の法律がそれを許さないからだ。そしてミス横浜支社に限らず、相手が日本代表クラスの美人であっても、木島の乗り気は女性相手に出力されない。
 木島慧の恋愛対象は異性ではなく同性であり、吉野は『同好の志』であることを、彼の着任当初から知っていた。

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2020-09-13